そしてわたしは、テレビが苦手になりました――はじめてテレビ出演したときの記憶

そしてわたしは、テレビが苦手になりました――はじめてテレビ出演したときの記憶

こんばんは、オオヌキです。

 

災害や事件・事故が起きたとき、ネタ欲しさに暴走するマスコミの在り方が度々取り上げられます。被害者の気持ちにまるで寄り添わず、ただスクープだけに目がくらむマスコミは、「マスゴミ」と揶揄されることも多いです。

結論から言うと、わたしはテレビを信じていません。信じられません。というより、テレビをつくる人間が苦手です。だから「マスゴミ」と聞いても、そうだよなと思ってしまいます。

そう思うきっかけになったのは、今から十数年前。

朝の情報番組のコーナーに、家族で出演したことがあります。そのときにテレビ制作の裏側をかいまみて、心底、テレビをつくる人間が苦手になりました。

今回は、そのときの話をしたいと思います。

 

Advertisement

 

そのコーナーは、「親から子に大事なものを渡す」という趣旨でした。なぜ我が家が選ばれたのかはわかりません。当時、一人っ子のわたしは上京したばかりでした。テレビにでるなんてイヤでしたが、断りきれずに出ることになりました。

 

当時、我が家には、船の模型がありました。実家は漁業を営んでおり、漁船を所有しています。その模型です。これは世界にひとつしかありません。なぜならわたしが生まれたときに、父が一から設計し、作り上げたものだからです。この模型は、ずっと家の一番目立つところに飾られていました。

番組では、その模型を父からわたしに渡す場面を撮る予定になっていました。テレビ収録の前日に実家に帰り、翌日の収録に向けテレビスタッフと打ち合わせをします。

そのときから、わたしは「この人たち、なにかおかしい」と思っていました。一番偉い人(たぶんディレクターだったと思います)の態度が、恐ろしかったんです。わたしたち家族には気持ち悪いぐらいの低姿勢、しかし部下に向かっては、平気で殴る、蹴る。本当です。本当に殴って、蹴り飛ばしていたんです。

「明日よろしくおねがいしますね」と笑顔で言ったあと、「しっかりやれよ」と部下に暴力を振るう人間がいる。まだ社会に出て間もないわたしはビビりまくりました。なんだ、この人たちは。これが大人の仕事なのかと戦慄したのを覚えています。

 

当日。

収録場所は、港です。大事な模型を家から運びます。一度の引っ越し以外、この模型を家の外にだすのは、この日がはじめてでした。

港につき、スタッフが打ち合わせ通りの場所に模型を運びます。わたしは手持ち無沙汰でそれを眺めていました。事件が起きたのはそのときです。模型を運んでいたスタッフが、その模型を落としてしまったのです。壊れる模型。咄嗟にわたしが思ったのは、「また蹴られるぞ」というスタッフへの同情心でした。

案の定、スタッフは見てられないぐらいの責めを受けました。その傍ら、父はひとりで壊れた模型を眺めていました。スタッフたちは、収録はどうするんだとそればかり言っている。壊された父の心情を慮る人は、だれもいなかった。

壊された父の心配よりも、番組のほうが大事なのか。テレビマンとしてそれは正しい心情だったとしても、当時のわたしには、それがとても薄情に思えました。

いま考えれば、スタッフは怖かったのかもしれません。お金で弁償できるものではありません。最悪、父がへそを曲げ、収録を断る可能性もあります。それが怖くて、だれも父に触れられなかった。

わたしは父に近寄りました。たぶんあのとき、息子であるわたし以外に近寄れなかったのでしょう。

父は苦笑していました。怒るでも、落ち込むでもなく、ただ苦笑していました。「壊れちまったな」。そうつぶやいた父は、そのあと決してスタッフを責めませんでした。

「あとで直すよ」。父のその言葉に、テレビ局の人たちは安心したでしょう。でも果たして、どんな気持ちで父がそう言ったか、それを考える人間はあの場にいたでしょうか。よかった、収録できる。その安心感が場を支配していたように思います。

ただ、直すといっても、そんな一瞬で直せるものではありません。結局、収録は壊れた模型のまま行われました。「いつか息子に渡すつもりだった」。父はそう言って、わたしに渡しました。本当にそのつもりだったのか、テレビの脚色なのかはわかりません。でもおそらくそれを見た視聴者の方は、思ったでしょう。

「なんで壊れてるの?」。まさかスタッフが壊したなんて考えないはずです。となると、大事な模型を父が壊したと考える。感動的な演出がなされていましたが、壊れた模型を見て、「なんだ、息子に渡したいものってその程度なんだね」。そう思われてもしかたありません。

テレビ放送を見たわたしは、もしそう思われたらと考え、悔しくてたまりませんでした。父が大事にしていた模型です。一人息子である自分がそれを一番知っている。もし、父が本当にわたしに渡すつもりだったのなら、立派な状態で渡したかったはず。いや、渡すはずだった。それがこんな壊れた状態で渡すことになった。父はどれだけ無念だっただろうか……。

そのとき、はっきりとテレビへの憎しみが胸の内に生まれました。

 

Advertisement

 

話を最初に戻します。

なぜテレビを信用できないのか。テレビをつくる人間が苦手になったのか。誤解してほしくないのが、決して模型を壊されたからではありません。あのときは父の無念を思って怒りにかられましたが、いまその怒りは薄れています。失敗はだれにでもあることです。しかたない。そう割りきれるようになりました。

でも決定的だったのが、父の気持ちをだれも考えてくれなかったこと。

この人たちは、人の気持ちが考えられない。その印象が強烈に残り、今もテレビを信じられない理由になっています。だから被害者感情に寄り添わないマスコミの横暴を見ても、どこかで納得してしまう自分がいます。そうだよな、あのときもそうだったもんな、そういう人たちだもんなと。

 

もちろん、これはひとつの例で、マスコミすべてがそうではないはずです。パワハラも今はないでしょう(たぶん)。わたしが、父の気持ちに寄り添わなかったと思い込んでいるのも本当は気のせいで、裏でスタッフはあれこれ考えてくれていたのかもしれません。

でも、わたしが感じた事実は、書いてきた通りです。

今後、マスコミの人たちってすばらしいんだな。そう思える人たちに出会いたいです。そうすれば、このトラウマもきっと薄れると思います。そう、トラウマです。人が人を信じれなくなるのは寂しいものです。テレビをつくる人たちだって、同じ人。信じたいです。信じられる日がくることを願います。

 

 

最後に。

船の模型はどうなったか。

器用な父です。壊れた部分を直すことはできます。でも父は決して直しません。いや、直せない。壊れたのは部品です。それは修復できます。でも、壊れた記憶は復元できない。もし作り直したとしても、「あの模型」では決してない。

きっとあのとき、誰より何事もなさそうに振る舞っていた父が、誰よりも悲しんでいました。直せないことも、きっとわかっていました。それなのに父はあのとき言った。現場を混乱させないように、壊したスタッフが責められないように、そして、わたしが心配しないように。

「あとで直すよ」

そう言われた模型は、今も実家の倉庫に、壊れたまま眠っています。