その背中にプロレスラーの本当の強さを教えてもらいました――プロレスの「強さ」について

その背中にプロレスラーの本当の強さを教えてもらいました――プロレスの「強さ」について

こんばんは、オオヌキです。

 

今日はプロレスの話です。

 

プロレスとヤオガチ論争は切っても切れない関係です。ヤオガチ論争とは、プロレスはガチなのかヤオ(八百長)なのかを論じること。ただ、現在は昔と意味合いが変わっているように思います。今は、ヤオかガチかを争うというより、勝敗が決まっているのはわかっているとして、それでも楽しめるかどうかが争点だと思います。

プロレスを好きだと言うと、こういう質問をされることがよくあります。「プロレスって八百長なんですよね?」。興味本位で聞く人もいるでしょう。本当はどうなの?と。でも経験則で言えば、この手の質問の裏には、だいたいこんな皮肉が隠れています。「八百長なのに見てるんですか?」

正直、八百長だからどうこうは、もう10年以上前に通ってきたことなので、今さらそれを言われてもなにも感じません。はい、好きですからと答えるだけです。でもすぐに今の考えに至ったわけではありません。

プロレスはヤオガチを越えた世界。それを教えてくれたのは、ある選手の背中でした。

 

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2001年にミスター高橋氏が著した『流血の魔術 最強の演技』のなかで、「プロレスは最初から勝負が決まっているショーである」と明かされました。

当時、この本は大きな衝撃を業界に与えました。それもそのはず。日本のプロレスにおいて、「プロレス八百長説」はタブー、触れてはいけない部分でした。今も公の場でこの話題に触れる選手、関係者はほとんどいません。それを元レスラーであり、ビッグマッチを何度も裁いたレフェリーが暴いてしまったのです。多くのプロレス好きが「騙された」とショックを受けました。

わたし個人で言えば、「別にいまさら」という感じでした。プロレスを半年も見ていれば、あらかじめ決着が決まっているのは、なんとなくわかります。明らかに予定調和の試合が多いですから。なんでそこで終わるの!?と思ったことは一度や二度ではありません。それでも熱狂してたわけです。そんな八百長とかどうでもいいぐらい、プロレスから熱いものをもらっていました。

だから別に、関係者が「全部八百長でした」と言っても、それをばらした人間を軽蔑こそすれ、そこで明かされた事実に衝撃はなかったです。

 

それよりも、2000年代前半の総合格闘技全盛期の頃がきつかった。格闘技ブームに押されるように、新日本プロレスの選手が総合格闘技のリングに進出。無残な負け方を幾度となく繰り返しました。そのたび、世間や知人から、「プロレスラーって弱いな。八百長ばっかりやってるからだよ」と揶揄されるのが、たまらなくつらかったです。

なぜなら、プロレスラーは最強だと思っていたからです。たとえ勝敗が決まっていても、あの鍛えられた肉体と技術、それを持ってすれば、どんなものにも負けない。そう思っていました。勝ち負け以上に、プロレスラーの強さにほれ込んでいたんです。そういう意味では、「プロレスラー最強」を信じていた信者でした。だからこそ、現実として格闘家にやられるプロレスラーを見せつけられるほうが、八百長で騒がれるより何百倍もショックでした。

関係者による八百長の暴露、総合格闘技との戦いで見せた醜態。このダブルパンチで離れたファンは少なくないと思います。わたし自身は、新日本プロレスが暗黒時代に突入してからもプロレスは見続けましたが、どこかで「格闘技に負けたプロレスラー」のイメージがずっとこびりついていました。弱いプロレスラーがなに強がっているんだろうと。

でも、徐々に考えが変わってきます。

プロレスの魅力は強いだけか?と自問自答するようになったのです。そもそも自分はプロレスに、強さだけを求めていたのか。いや、強さってなんだろう。相手を打ち負かすことだけが、果たして強さなのか違う強さもあるんじゃないのか。

そう思わせてくれたのが、永田裕志選手でした。永田選手は、総合格闘技の選手に無残に負けたひとりです。でも、そんな醜態をさらしても、プロレスのリングに立った。王者になり10度の連続防衛も成し遂げた。世間のみならず、ファンからの冷たい風当たりに耐えながら、リングで戦い続けた。決して逃げなかった。

プロレスラーは強い。今はそう胸を張って言えます。それは単純に力の強さではありません。プロレスラーの強さは、どんな困難にも立ち向かい、どんな苦痛からも這い上がり、リングに立ち続けること。

永田選手の背中から、そんなプロレスラーの本当の強さを教えてもらいました。

 

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物事には相性があります。きっとプロレスを見ても、なにも感じない人もいます。毛嫌いする人もいるでしょう。なので、「なんだ、強さを競う戦いなのに、勝敗が決まってるのか」と冷める人に、無理に勧めようとは思いません。

ただもし、少しでも興味を持った方がいれば、どうか「ヤオガチ」の先へ、一歩踏み出してください。

プロレスは勝敗だけではありません。選手ひとりひとりに物語(ストーリー)がある。試合は、その物語のぶつけあい。つまり、生き様の戦いです。負けまくる選手にも、勝ちまくる選手にも、物語がある。リングはあくまでその交錯点。ひとつの通過点でしかありません。負けた選手も、勝った選手も、物語は続いていきます。

プロレスラーはリングの上で命をかけます。一歩間違えば大事故になる技を勇猛果敢に繰り出します。ため息がでるほど華麗な技を見せたかと思えば、武骨で原始的な技で相手を圧倒することもあります。そして、どんな技をくらっても立ち上がります。立ち上がる意地を見せます。

また、プロレスラーは怪我との戦いでもあります。本当は歩けないぐらいの怪我でもリングにあがります。きっとそれを美徳にするのは間違いでしょう。一歩間違えば選手生命を絶たれます。選手生命どころか命の危険もあります。どこかで歯止めをかけないといけません。

でも、プロレスラーはすごく良い意味で、バカなんです。首の骨を折っても戦い続けるバカなんです。しかも、折った相手を称えるんです。また戦おうと言うんです。戦い続けるんです。こんな人、漫画の中でしかいません。でもプロレスのリングにはそんな連中がゴロゴロしてます。

見てて怖いですよ、もう休めと思いますよ、怪我するなと言いたくなりますよ。もっと体を労わってくれ、やめてくれとも思います。ただ、どんなに心配をしても、プロレスラーは戦い続けます。戦うことが仕事だと、なにより本人たちがわかっているからです。

一般人には解釈できない、傍から見るとバカとしか思えない思考で行動するのがプロレスラーです。そんなレスラーに心配の言葉を投げても、「それは覚悟のうえ」と返されてしまいます。むしろ、「覚悟がないとでも思ってるのか」、と怒られるかもしれません。

ファン心理として心配な気持ちはあります。ありますが、プロレスラーを信じて、全力で応援します。その「強さ」を称えます。ギリギリで戦うプロレスラーの姿から、立ち向かう勇気、立ち上がる強さをもらいます。明日への活力、人生の糧を得ます。それがプロレスを「見る」ことだと思います。

 

そしていつしか、選手と一体になります。勝ったら全力で喜び、負けたら全力で落ち込む。

そうなったら、もうプロレスの虜。

ようこそ、勝敗を越えたプロレスの世界へ。

人生の輝きとも言える熱狂空間が、あなたを待っています。