作品について作者自らの口で伏線回収するのはどうなんでしょう?というお話

作品について作者自らの口で伏線回収するのはどうなんでしょう?というお話

こんばんは、オオヌキです。

 

まさか午前3時にこのブログを書きだすことになるとは……。仕事が長引いてこんな時間です。記事のストックが切れているので、毎日更新を継続するには、白目むきながらでも書かないといけません。いまは半開きだからまだだいじょうぶ。

今日はそんな眠気と戦いながら、ちょっとした例え話をしたいと思います。

 

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例えば、世に出た作品がこんな批判を受けたとします。まるで伏線を回収していない、謎が残ったまま、最後の場面の意味がわからない……。よくある話です。そもそも物語において、すべての伏線を回収しなくてはいけない決まりなんてありません。宙ぶらりんだっていいんです。すべては作者の手のなか。

結果として、伏線をなんら回収せずに最低評価になっても、作品としては成立しています。

仮に、犯人が見つからない殺人事件の話があったとします。

「犯人はおまえだ!」とわかりやすい描写が最後までない。それどころか、どんなに読んでも犯人がわからない。なぜならヒントはなにもないから。絶対に犯人がわからない作品です。きっと「ふざけるな!」という声があがるでしょう。でも、作品であるのは確かです。感想の是非で作品の内容が変わるわけではありません。

 

作品は作品内ですべて完結すべきです。テーマもメッセージもすべてを作品に込める。

一番ダサいのは、後から作者がペラペラと喋りだすことだと思います。制作秘話や裏話などはわかります。それは受け手が聞きたいこと。作品をさらに盛り立てる味付けになります。

でも、「このオチはこういう意味です」「このキャラはこうでした」「伏線はここで回収します」など、物語の核となることを言われたら、作品内で言えや!と思ってしまいます。後からの説明は、作品内ですべてを語れなかった、つまり、完成度の低さを作者自らが露呈することです。

 

スピンオフや続編で伏線を回収するのはアリだと思いますが、作者が出てきて、「いまから伏線回収しまっせ」というのは、作品の埒外です。もし、そんなことをする作者がいたら、かなり幻滅します。作品に対しての情熱がないんですね、と。

まあ、そんな作者がいるなら、の話ですが……