その痛みはいつか自分に跳ね返る――アンチと化した愚かな経験から伝えたいこと

その痛みはいつか自分に跳ね返る――アンチと化した愚かな経験から伝えたいこと

こんばんは、オオヌキです。

 

しばらくお休みしてしまいました。

実は先週、このブログが見れない状態にあったんです。更新も、もちろんダメ。下ネタを書きまくったので、規約に引っかかった(このサーバーはアダルトが禁止なのです)かとビビったのですが、実際はそうではなく。まあ大きな問題ではなかったので、すぐに復旧できました。

というわけで、今日からまた更新をはじめていきます。

 

今回が復帰一発目。アンチの話です。

 

以前、あるアイドルグループが好きでした。でも嫌いになり、アンチになりました。そしていまは……

 

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アンチ。

wikipediaにはこのように記載されています。

特定の個人・団体・企業・製品などを嫌う者、反発する者を指す和製英語(例:「アンチ巨人」)。度合いとしては、ファンの対極に当たる者から信者の対極に当たる者まで、等しく「アンチ」として表現される。

 

数年前に、とあるアイドルグループが産声をあげました。わたしはそのデビュー曲に衝撃を受けました。これはとんでもないグループになる。素人目ながら、ビビビっときました。

その予想は当たりました。事実、とんでもないグループになりました。でも、それはわたしの描いた、「とんでもない」ではなかった。いつしか、わたしの望んだ方向とは真逆に疾走しはじめたのです。ただ、売上や注目度はどんどん増していく。わたしはそれが不満でした。

ひと言で言えば、悲しかったんです。デビューのときの輝きが闇に塗りつぶされていくようでした。

 

それが耐えられず、わたしはアンチになりました。

 

そのグループの行動すべてが苛立つ。理由は子供じみたものです。要は、自分の思うようなグループじゃなくなったから。もともと興味のないグループであれば、どうでもいい話です。でも昔、熱を入れていたからタチが悪い。別れた彼女に向かって、「変わったおまえが悪いんだ!昔に戻ってくれよ!」と怒鳴るようなものです。彼女の意志など無視して。

我ながら情けない理由です。けど、グループがわたしの望まぬ路線を加速させればさせるほど、そのグループへの憎悪は徐々に増していきました。もうデビューの頃に戻る気はないんだ、好きだったあの頃には戻らないんだ。その寂しさがより一層の苛立ちへと変わります。

以前はアンチの思考をtwitterでぶちまけたりもしていました。twitterの使い方なんて自由です。別にグループへの不満を書いても問題はない。でも、その不満は全世界に発信されます。つまり、そのグループのファンに嫌な思いをさせる可能性もある。事実、傷つけてしまった方もいます。

 

そして、いま。

 

興味がなくなりました。あれだけ好きだったのに、あれだけ憎かったのに、あれだけ気になってしかたなかったのに。グループとわたしを繋ぐ線がぷつりと切れたように、なにも感じなくなったのです。

好きの反対は嫌いではなく、無関心といいます。その境地に達したのかもしれません。

ただ、忘れてはいけないこと。アンチとしてグループやメンバーに暴言を吐いた過去は決して消えません。嫌いだからなにを言ってもいいわけではない。そんな当たり前のことを忘れてしまうほど、アンチ化した人間は見境がなくなります。経験者だからよくわかります。

 

暴言を吐くとき、きっと良心の呵責があるはずです。その罪悪感を消し去る魔法の言葉が、「相手が悪い」。でも、立ち止まってよく考えてください。

 

本当にそうですか?

本当に相手が悪いですか?

その暴言を吐くにたる理由が、相手の行動に本当にあるんですか?

 

SNSは、文字を打って送信するまで、考える時間があります。直接話すときと違って、自分の間がもてる。この間を大切にして、良心の声に耳を傾けてください。直接殴れば自分の拳も痛む。ネットも同じです。言葉で心をえぐれば、自分も痛む。今はわからなくても、きっといつか痛みは自分に跳ね返ってきます。

 

いま、わたしは例のグループに対し、悲しみも怒りもありません。ただただ、無。でも、直接でないにしろ、グループやファンを傷つけてしまった痛みはずっと残ったままです。

あのとき、もっと冷静になればよかった。

そんな後悔をする人が少しでも減ることを祈ります。