発症は中学3年生の体育でした——「かっこつけてる自分に耐えられない病」

発症は中学3年生の体育でした——「かっこつけてる自分に耐えられない病」

こんばんは、オオヌキです。

 

今回は本文の最後にコメントのお返事をしています。ぜひあわせてご覧ください。

 

さて。

自分で言うのもなんですが、わたしはものすごく「いいかっこしい」です。すぐかっこつけます。できるなら、ずっとキザなこと言ってたい。かっこつけまくって、「きゃー、オオヌキさん素敵ー」と女子高生から胴上げされるのが人生の目標です。

でも実際は、挙動不審のモジモジくんです。見つめ合うと素直にお喋りできないシャイボーイ。チェリーボーイじゃありません。シャイボーイです。

 

ネットや書き物では、いくらでもかっこつけられるんですが、現実はそうはいかない。というのも、わたし、こんな病気を持っているんです。

 

それは、

「かっこつけてる自分に耐えられない病」

 

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まず写真が苦手です。ハイチーズ(これ、古いのか?)の瞬間に決め顔をする自分に耐えられません。ピースもつらいです。心で「なにかっこつけてんの?www」と、もうひとりの自分が常に突っ込んできます。カラオケが苦手なのも、そのひとつ。気持ちよく歌っているのに、心でやっぱり囁かれるんです。「なにかっこつけてんの?www」と。

これ、典型的な自意識過剰なんですよね。写真でポーズなんてみんなやってるし、カラオケだってそんなに人は気にしてません。変に恥ずかしがってモジモジくん気取ってるより、下手でも堂々としてたほうが様になる。なのに、人の目ばかり気にしてしまうのは、「かっこ悪い自分を見せたくない」という、自意識の現れでもあります。

 

そこまでわかっているのに、やっぱり人前でかっこつけるのが苦手な理由。

それは、中学3年生のときまでさかのぼります。

 

体育の授業で、創作ダンスを発表する課題がありました。男女6人で、決められた曲に自分たちで振付を決め、みんなの前で発表します。

このとき、真剣に踊っているわたしに、こんなヤジが飛びました。

「なにかっこつけてんの?www」

そう、ずっと心にこびついているのは、このときの声です。その言葉に急に恥ずかしくなりました。確かにそうだ、自分なんかがなにかっこつけてるんだ、こんな自分が……

 

トラウマは意外と簡単に植え付けられます。傍から見れば、「なんでそんなことで」と思うかもしれません。考え過ぎだと思う方もいると思います。言ったほうはなにも覚えてないでしょう。でも中学3年に受けたヤジは、それから20年以上たった今も、鮮明に浮かび上がります。

ただ、そのおかげで「小説」に出会えた事実もあります。高校に入学し、小説を書きはじめたのは、本当はかっこつけたいけどかっこつけられない自分の気持ちを、小説のキャラクターに投影したかったから。もし、イケイケでノリノリでウハウハの学生ライフを送っていたら、小説を書く気にはならなかったと思います。そういう意味ではよかったのかなと。塞翁が馬です。

 

きっとこれからも、「なにかっこつけてんの?www」の声とともに、生きていくと思います。でもいつか、「別にいいじゃん。オレ、かっこいいんだし」とその声に言い返したいですね。

そのためにも、もっともっと自分で自分を認められる自分にならなくては。

自分の敵は、自分だぜ!!

 

(なにかっこつけてんの?www)

うぐぐ……

 

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<コメントのお返事>

『その痛みはいつか自分に跳ね返る――アンチと化した愚かな経験から伝えたいこと』記事へのコメント

HN:「次のキャスを心待ちに」さま

こんにちは。

そのグループ、キャス聴いてるとわかりますよね(笑)ということを書きにきたわけでなく、ちょっと真面目にコメントを。

僕は、オオヌキさんが「アンチ」を通り越し「無関心」になった、そのグループは好きですよ。この間のライブもスーパーに良かったし、ひょっとしてオオヌキさんの好きだったころに近い感じの4月のライブも良かったです。

どちらもそのグループの本来の姿だし。ただ多くの人は、前者のほうを強く支持し、そのグループから離れれば離れるほど、前者のほうしか見えなくなるのはちょっと残念だったりしますが。

ここにコメントしに来たのは、オオヌキさんに批判反論をしに来たわけでなく、自分自身もそういうところあるだろうし、世の中の多くの人もそうなんだろうけど、どこか「思考停止」に陥っちゃうことはないだろうかとふと思ったわけです。

本来、余程のヘイトなことじゃないかぎり、表現の自由なり、思想信条の自由は尊重され、認められてます。

その一方で、最近よく聞く「炎上」や「同調圧力」の言葉に代表されるように、一つの枠にはめたがる傾向が強くなってきてます。

ただこういうのは昔からあって、「◯◯らしく」「◯◯らしい」「◯◯はこうあるべき」という表現に代表されるように。

枠にはめるほうが「楽」だと思うんです。考えることをある意味放棄に近いことを出来るから。

昨日のそのグループの冠番組もいつもより好評でした。ただこれも「アイドルはこうあるべき」とか「バラエティーとはこうあるべき」の枠にはめてるところからくる部分も少なからずあるとは思うんです。

もうここまででも相当まとまりのない文章ですみません。
ただものすごく「自己矛盾」なことを書くと、「多様性」みたいな偉そうなことを書いときながら、明らかに自分の好きなグループを例に出されたことに、感情を抑えきれなかった部分もあるのです。

それだけはご承知おきください。

言いたいことが言えない世の中はだめだと思いますが、頭の中でよく咀嚼しながら言葉を選び、紡いでいかないといけない。

僕もSNS、実生活でそれを肝に命じていきたいと思います。

思考停止に陥ったり、「枠」に強引にあてはめ、新たな魅力を見落としてしまうことはありますね。ひとつの側面が苦手であっても、違う側面から見れば好きになることもある。思考停止に陥っては、その魅力もみつけられません。嫌いはずっと嫌いのまま。それは確かにもったいないなとコメントを拝読して思いました。

また、某グループに対して否定的な内容だったので、お気を悪くされた方も多いと思います。ただ、グループを応援している方を否定しているわけではありません。もちろんそこはご理解いただいていると思いますが、改めて書かせていただきました。

とはいえ、好きなグループを否定的に書かれたら、どんな理屈であってもイラっとしますよね。それは自然の感情です。このあたりをどう表現していくか。もっと勉強が必要だと痛感しました。

気づきを与えてくださり、ありがとうございました。